ki-koのお料理後日談

2003年08月01日(金)
嚥下障害

なじみのないこの障害。飲み込む力がなくなるというか、舅の場合、脳梗塞による、麻痺により、起こった症状というほうが、正確なのかな。

舅と久々に長時間一緒にすごす。ものを食べるという普段あまり気にしないでやっている行為が、こんなにも大変なことなのかと、ため息がでる。
でも、日に日に、ほんの少しづつではあるけれど、回復へ向かっているので、なんとなく、ちょっとほっとしている。
子どもたちの赤ちゃんの時代の「もぐもぐごっくん」を、もう一度おじいちゃんとやり直し(笑)。それでも、80年近い歴史は体が覚えている記憶があるので、赤ちゃんよりも、大変(苦笑)。そんなに沢山いっぺんに入れると、また、むせちゃうよ!とか、口の中の全部飲み込んでから、次のいれないと!とか・・・・。早食べの癖のある人にとっては、また、なんぎなことです。
くれぐれの、若いうちから、ゆっくり食べる癖を!<自戒をこめて。

今日の夕飯は、カツどん!



2003年08月04日(月)
症状のムラ

日々少しづつ快方へ向かっているのだとは、信じたいけれど、一進一退とは、このことで、昨日までできていたことが今日はできなかったり・・・。
でも、友達の助言で、介護認定の申請のしなおし、その他のことがとてもスムーズに運べそう。感謝!
明日は事業所を回って、ケアマネジャーを決めて、後々のことを相談しに行く。いいケアマネさんと出会いたいものだ。

現在病院で点滴で補っている水分を、経口からというと、どれだけのものをどれだけ食べればいいのか・・・・考えただけで気が遠くなる。
まだまだ、少しでも、水っけのあるものは、食べれない。ほとんどが、ペースト状のもののみ。三度三度の食事をそのような状態のもの(ミキサー食)にするという作業がどのようなものか、想像もできないけれど、それが、この金曜日から始まる。

ネット上で色々な言葉で検索をかけて、ただいまメニューを物色中。
どこまでやれるのか、どれだけやれるのか、不安はいっぱいだけれど、またまた軌道にのったら、HPにでも、メニューをのせるべぇか!?!と、前向きに考えて・・・・。潰れないように、祈っていてください!<いったい誰に言っているのか・・・(苦笑)。

今夜の夕飯は、ひさびさの餃子と、なすのはさみ焼き、チャーハン、サラダ。



2003年08月07日(木)
やさしい言葉

朝からベッド、車椅子、その他もろもろの搬入。いよいよという感じ。
おとといから点滴がはずされ、昨日シャワーを浴び、ちゃくちゃくと帰宅準備という感じが伝わってくる。それにしても、この二日あまりは、老人特有の症状がかなりでている。このままで本当に、家族での介護ができるのだろうか?ととても不安になってくる。

今日は、近所の私(めったに行かないけれど)や子どもたちがかかっている、同じ町内にある内科の先生へ、ホームドクターになっていただくために、ご挨拶に。とても優しい先生で、先生の「どうしました?」という問いかけだけで、病気が半分治ってしまうような先生。今日もいままでかかったこともない舅のことでお願いにあがって、色々話を聞いてもらったのだけれど、最後に「大変ですよ!でも、がんばりましょう!」とポンポンとひざの横をたたいてくださった。それだけで涙がでてきてしまった。

色々な方の助けを借りて、少しでも舅が元気になるように、手助けできるようになるといいなぁと、つくづく思う。

不安なことがあると攻撃的になる旦那には、すべての準備ができてから、話そうと思い、ケアマネージャーも決まり、機器の搬入も終わり、ホームドクターの目処もついてから、話をした。結果オーライ(笑)




2003年08月14日(木)
お騒がせな・・・

ウィルスが猛威を振るっているようで、こまめなアップデートは欠かせないようです。それにしても、人騒がせなことです。

どうなることかと思った介護もようやく軌道に乗り始めて、家族一丸となっての状態。退院してきてから、がんばって食事の支度をしていたおばあちゃんが、少しギブアップ状態なので、今日は、作らせて欲しいと頼んで、私がミキサー食初挑戦!

メニューは、鶏ささみの梅肉和え、麻婆豆腐、にんじん、じゃがいも、ブロッコリーのスープ、おかゆ。
鶏ささみは、お酒と塩を少々ふって、フライパンで蒸し煮、ほぐして、梅肉と一緒にミキサーにかけて、蒸して残った汁を片栗粉でとろみをつけて、ミキサーに入れて、もう一度かけてとろみをつける。
麻婆豆腐はごま油で、ミンチをいためて、ミキサーにかけ、ミンチを取り出した後のフライパンで、ねぎのみじん切りと、生姜の搾り汁、ミキサーをかけたミンチを入れて、もう一度いためて、豆腐を加えて、中華ブイヨンと、テンメンジャンで味をつけて、水溶き片栗粉でとろみをつける。
ブイヨンで煮たジャガイモとにんじんは、それぞれにミキサーにかけ、塩ゆでしたブロッコリーもミキサーにかける、ブイヨンのスープを少しいれてのばす。

おじいちゃんも『美味しい!』と言ってくれて、ちょっぴり、ッホ!。



2003年08月18日(月)
常套句なんだろうけど・・・

今日は、これから、ホームドクターをお願いした先生の初めての往診の日。
色々経過観察というのか、今の状態を調べてくださったのだけれど、「○○さん、私は○○と申します、近所の町医者です、これから、少しうっとおしい質問などしますけれど、がまんして付き合ってください」と、とっても心のこもった口調で言われ、診断がはじまりました。
ひとつひとつとても丁寧に、念入りに。

薬をたくさん飲んでいることを危惧してくださり、一度には無理だけれど、だんだん少なくする方向で進めるけれど了承してもらえるかと言っていただき、本当にこの先生にお願いしてよかった、と安堵した。

極め付けが、こちらの質問に「もし、僕の父親がこのような状態で、かみさんに介護をしてもらう事態だったら、僕はこうします!」とおっしゃたこと。お医者さんの『自分の身内におこったら』という話され方は、常套句だろうと半分思っても、不安ばかりの家族にとっては、とっても安心できる心強い言葉だと思う。

これからの長い道のり、この先生を頼りにがんばろうと思えた一日でした。

それにしても、日々の差の激しさには、かなりまいる。今日はすべてのことがなかなかうまくいかず、おばあちゃんが、朝食だけで、かなりまいっていたので、夕食の介護をしたのだけれど、1時間15分という時間のかかりよう。明日から、仕事もはじまる。厳しい毎日になりそう。

まるで介護日誌のようになりそう・・・・(苦笑)

今日、上の娘は横浜へ帰っていきました。
彼女の笑い声と、ピアノの音が消えた我が家に、ものたりなさを感じるけれど、彼女の「○○家の誰かぁ?横浜ついてきて!」の叫びどおり、一人暮らしに立ち向かっていった娘を思い、こっちは、こっちで、皆がんばってるから、ちっぴもがんばるんだよぉ!と、エールを送ることでふっきることにする!(笑)



2003年08月24日(日)
他力

ひさびさの後日談。
おじいちゃんが、再入院して、現在死と戦っています。
必然的に『死』というも『生』というものを、考えてしまいます。
今流行の仏教用語「他力」
まさに人は「他力」人生は「他力」
って、言ってもどこまで宗教的な意味の「他力」の本質をわかっているのか、はなはだ疑問ではあるのですが・・・(苦笑)

アメリカの最近一連の戦争が、よく言われている、新保守派の勢力の強さだとすると(宗教というもののかかわりが強いとするならば)宗教とはなんだろうかとも考えてしまう。欧米の主な宗教である、キリスト教の『えらばれしもの』という考え方(これもずいぶん乱暴で、実のところよくは知らないけれど)と、仏教的な教え「ゆるされしもの」の違いなのだろうか。たぶん宗教というのは、ほんらい同じもので(あぁ、これも実に乱暴・苦笑)、捉え方の違いなのかもしれないと思いながら、選ばれて生きていると思っている人間と、許されて生きていると考えている人間と、やっぱり行動や、考え方は、ずいぶん違うよなぁ・・・・と、つくづく思うわけです。

自分には、やっぱり、仏教的な考え方、許されて生きている、他のものの犠牲の上に「生きさせてもらっている」と考えるほうが、好きかもしれない。
だから、念仏を唱えながらとまでは、まだ思ってないのだけれどねぇ・・。


急な暑さに身体がついていきません。でも、食卓には、秋を感じる「さんま」を。



2003年08月25日(月)
医療の進歩

ICUで、いろんな物に繋がれているおじいちゃん。
倒れた日、早朝、電話で起こしてしまったのに、いやな顔ひとつせず、かけつけてくださった、ホームドクター。ちょっと前まで入っていた、通いなれた病院へ電話をしてくださり、でも、そこでは断られて、救急車を呼んでくださいということで、救急車を頼む。、その救急車に同乗してくださって、病院まで行ってくださった。その上、ご自身のクリニックの回診時間ぎりぎりまで、付き添ってくださった。後で、お礼にうかがったとき「今の医療は生かせるためならどんなことでもできます」といわれた言葉が、今実感となって重くのしかかる。
今の病院の先生も、一生懸命つくしてくださっている、なんとかして「生きる」道を探してくださっている。でも、である。集中治療室の一番奥まったところにある、個室、その中で、いっぱい情報を読み取るコードにつながれて、一日たった2回だけ、30分づつの面会がゆるされるだけ。いくら意識がないといっても、家族にとっては、少なすぎる時間。コードの情報は、モニター画面に映し出され、どうしても、そこへ目がいってしまう。3つの波形と、刻々と変わる数字に目を奪われる。そんなものより、おじいちゃんの顔を、状態をみていたいのに・・・・。
たった10%、20%の確率のために、でも、それにすがりつきたい気持ちも、真実。

喜こばしい医療の進歩は、反面、辛い時間をも家族にもたらす。




2003年08月27日(水)
一喜一憂

カテーテルの結果、脳の動脈瘤は破裂していないことがわかり、でも、その瘤は治療のできる場所ではないとのこと。出血は普通の血圧の上昇による血管がきれたもので、これは自然治癒するとのこと。絶対安静の状態からは解放されて、部屋のカーテンがあけられ、安静のためにほどこされていた、麻酔の点滴もはずされて、だんだん覚醒。意識はでてきそう。カテーテルを終えての担当医の話は、今後の治療は、頭に小指の先ほどの穴をあけて、出た血を抜き出す作業をするということ。だんだん、先が見えてきたように思って少し安心して、空きの時間に、美容院へ行って、カットをしてもらう。
そして夜の面会へ下の娘と、実家の母とともに向かう。

ベッドから落ちたさいに肋骨が1本折れていることが、レントゲンをとって分かったので、胸部外科の先生にもみてもらう予定だということを、昼過ぎの説明で聞いてはいたのだが、その先生が、ちょうどきてくださった。

声掛けに反応するおじいちゃん、初めてきた下の娘と目があい、反応があったように思う。かなり希望がもてると、喜んでいたときに、その胸部外科の先生が、かなり肺炎の方が悪化していて、肋骨の陥没があるので『人工呼吸器』をつけた方がいいとおっしゃる。

それを聞いて、もう、私はおたおた状態『人工呼吸器』=『脳死』→『植物人間』の文字が頭をかけぬける。先生が色々説明をしてくださっていたのだが、もう、冷静に聞いてられない。旦那に連絡をとってから、返事をすることにして、連絡をとってみても、携帯が繋がらない。仕方がないので、家に帰って、姑にことを話す。

さすがのおばあちゃん。返事は簡潔明瞭「延命のためならやらない」「治療のためならやる」
目からうろこ。本当にこのスーパーおばあちゃんには、私は一生頭が上がらない。どうしてそんなきまったことをその場で医者に返事をできなかったのだろうと、自分のふがいなさを後悔。

連絡のついた旦那と病院で待ち合わせて、まぁ、また、その間色々とあったのだけれど(苦笑)、なんとか、義妹も間に入って、夜勤の先生と相談した結果、もうしばらく、肺の状態をみて、数値がこの値を切ったら、つけましょう!ということで、帰ってきた。帰宅したのは、夜の11時を回っていた。

それから食べた夕飯は、鶏肉とほうれん草のソティの梅肉合え。



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