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2003年9月3日、祖父が永い眠りにつきました。私が初めて体験する近しい人の死。もう一人の祖父の時は、幼すぎて”死”というのがどういうものなのかさえ分からなかった。だからこれが私にとって、認識できる初めての死別
になるだろう。生前から、人に迷惑をかけることのない控えめな祖父は、最後の別
れの時までその生き方、祖父らしさが漂っていた。人が絶対こだわらないような所でなぜか頑固な祖父。だけど人思いで心の優しいおじいちゃん。
永眠についた祖父の顔は、安らかで、何一つ文句などない、という顔をしていました。そういえば祖父は、確固たる独特の信念は主張し通
しても、後からぶつぶつ文句を言っている、というシーンを見た事がない。確かに、気のキツさでは我が家でナンバーワンを私と競う祖母が伴侶というだけあって、その分控えめだったという事なのかもしれないが、私は「人に嫌な思いをさせない」、祖父なりの優しさであったと思う。あの安らかな顔は、そんな祖父の人柄を「静」で表していたような気がする。
でもひとつ、祖父が「幸せだったか」という問いには私は答えられない。もちろんそれを知っているのはおじいちゃんだけで、誰も答える事はできないのだけど。。私は祖父が若い頃どういう生き方をしていて、どんな人間だったかについては全く知らないし、きっと私が思っているおじいちゃん像と、祖母や父から見た夫像や父像は全然違うものなのだろうけど、私はおじいちゃんの人生が幸せであって欲しい、と願う。みんながおじいちゃんの死を悼んで、不在を寂しく思ってる事を、知って欲しい。もう私も誰も、祖父に何かしてあげられる事はできないけど、今生きている私達がこれからの人生を楽しく生き、一日一日を大切にすることでおじいちゃんが報われるのなら、私は嬉しいし、絶対そうしたい。
最後に心配なのは、残された祖母と、初めて私が横浜に戻るのを躊躇した寂しげな父である。
祖母にはよく使いこなしているiMacにより愛着を持ってもらうため、インターネット推進にE-mailを書こうと思う。おばあちゃんなら、できるっ!
そして父には・・・その天性のお気楽さで、どーにか乗り切ってくれっ。(笑)
じゃあおじいちゃん、旅行に行ってくるね、どこかで見守っていて。。
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