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人と初めて出会ってから、誰かと敵対しようなど毛頭考えるはずもないのに、いつの間にか、相手が自分を傷つけるかもしれない”敵”に見えてくる事がしばしばある。それに同じくして、時にはやっかいな敵に思えたり、やっぱりこいつこそが側近だ!、なんつー茶番を繰り返しながら、16年間飽きもせず連れ添ってきたのが、この狭い部屋に「ででんっ」と居座る黒長い箱。ピアノである。
今までこの黒い箱に、幾度泣かされてきたか分からない。記憶を遡ると、まるで天使のように可愛かったかどうかは定かではない私の幼少時代、それはそれはめちゃくちゃな理由で泣いていた。練習が嫌いで嫌いで、トカゲが水をなめるくらいにしかピアノに触れてなかった私は、無謀にもそのままレッスンを受けに行き、当然のごとく叱られる。そして、泣く。じゃあ練習すれば、と母親に言われるので、「練習はしたくない」と言って、また泣く。じゃあもうやめたら?と言われるので、「やめたくない」と言って、さらに泣く。やめたくないけど、練習もしたくない、という解決不可能な難題を抱えていた幼い少女は、「取りあえず続けるか」、という無難な選択におさまったご様子。
そんな論理の「ろ」の字もないようなお悩み期間は過ぎて、真剣に音楽に取り組んで、本当の意味で頭を悩ますようになったのは、専ら音校に入ってからの出来事だ。良き仲間と良き恩師に恵まれ、その頃から一日7〜8時間ピアノの前に居る事はごく自然な事になりはしても、
肝心なそれで何を伝えたいのか、という事は全く分かっていなかった。何を伝えたいのかが分かっていないので、実技試験後、先生の講評を聞きに行った時に「どうし(弾き)たかったの?」と聞かれても、答えようがないのである。あれは一番困る質問だった。と同時に、音楽を通
して表現したいもの、中身それ自体の事でもあったのだ。
音楽をやる、ってそういう事なのかもしれない。 自分と向き合う事、自分にしかないもの、オリジナリティーを見つけ出す事、そしてそれを音にする事。ずっとその繰り返しなのだ。これは、言葉にしてしまうと憎らしいぐらい、辛くて苦しくて、頑張れば頑張るほど自信が無くなる作業だった。でも、「そうじゃなきゃあなたが弾く意味がない」と、今ついている師にしつこく言われる言葉は、正にその通
りだ、と思う。
将来、ずっと音楽を続けていくかどうか、これが果たして自分に向いてる道かどうかなんて分からない。でも、ここまでピアノという楽器を通
して一つのものに没頭できた事は、将来何をやっていても無駄にはならないし、絶対無駄
にしない。と、そんな自信だけは有り余る、華のジョシオンダイセイよ、花開け。
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